雅子さま還暦「愛子にはいちばん美しいものを見せたい」一緒に笑い、悩み、「娘」を守り続けた


皇后雅子さまが12月9日、60歳の誕生日を迎えた。1993年に皇太子だった天皇陛下と結婚し、2001年に長女の愛子さまが誕生。2003年から長く続いた療養生活のなかでも深い愛情を注ぎ、成年になった愛子さまは父と母を「かけがえのない存在」と語った。愛子さまを包み込むように愛しんだ「母」としての歳月を振り返る。

「初めて私の胸元に連れてこられる生まれたての子供の姿を見て、本当に生まれてきてありがとうという気持ちで一杯になりました」

 にっこりと笑って視線を上げた雅子さま。声は震え、目元には涙がにじんでいた。

 愛子さまの誕生から4カ月が過ぎた2002年4月2日。皇太子さまと雅子さまは、愛子さまの誕生後初めての記者会見に臨んだ。

「今でも、その光景は、はっきりと……目に焼き付いております」

 涙をこらえるように、視線が下に向いた。

「生命の誕生……」

 感極まって言葉が途切れ、手で口元を押さえる雅子さま。皇太子さまが雅子さまの背中に手を伸ばし、トントンと2度、優しく押さえた。

 その年の10月、愛子さまを連れた雅子さまは、初めて母と娘のふたりだけの私的な外出をした。出かけた先は、東京・銀座の教文館。ご一家と長く交流を持つ影絵作家・藤城清治さんの展示会が開かれていた。

 真っ暗な会場の中でオレンジや青、緑、黄、白の光と影が、童話の世界や郷愁を誘う情景を幻想的に浮かび上がらせる。

 手を伸ばした愛子さまに、雅子さまが「だめだめ」となだめると、藤城さんは「アクリル板の上だから大丈夫」と優しく笑った。

 雅子さまは、「愛子にはいちばん美しいものを見せたい」と話した。

AERA

最初のご懐妊はわずか2ヶ月程度で新聞で報じられた。安定期にもならない時期の公表に違和感しかなく、ひどいことをするとまで思ったのを覚えている。そんなこともあってだろう愛子さまがお生まれになった時には言葉に詰まられた。よく耐えてここまでやってこられたと本当に察するにあまりある。どうか、これからは思いの儘にご活躍なさることを願います。

民間から嫁がれ、あらゆる環境に慣れないながらも子を身ごもり出産育児。
育児をされるだけでも大変なのに公務をこなさなければならない。他の民間出身の妃たちは何していたのだと思います
適応障害と診断されたあともあれやこれやと噂され陛下の愛情深い言葉やお振る舞いがなければやっていけなかったと思います
愛子さまも健やかに育ち、皇后という立場で誕生日という日を迎えられました
改めて誕生日おめでとうございます。1日1日が幸せに溢れた日でありますように

天皇家ご一家は、私たちから最も遠いお立場であるはずなのに、とても身近に感じてしまう。
別記事で皇后陛下が「新人類世代」との話が出ていたが、妊婦健診に付き添い、妻を「雅子」と名前で呼び、お小さい愛子さまを背負って歩かれ、運動会などの学校行事にはパパとして積極的に参加され、最近ではご養蚕にもご一家で参加された、陛下こそ新人類の最先端のような方である。
サーフボードの話もさることながら、「父が母を好きすぎる」「夫婦喧嘩の種を、犬たちがよく拾って食べてくれる」など、ご一家のエピソードは、情景が目に浮かぶような、楽しい話ばかり。
もうすぐ新しい年を迎えるが、どのような新年のお言葉が拝聴できるのか、今から楽しみである。

病気で何年も外に出れない外部と会えない雅子様を支えられたのは天皇陛下その同時期、学校に行かず又は半日登校の愛子様を支えられたのは雅子様強い家族の絆を感じずにはいられません本当に素晴らしいです苦しみや葛藤を経験したからこそ他人の痛みが解るとするならばまさに3人の温かい眼差しはそこから来るのだと思います

1件のコメント

>雅子さまは、「愛子にはいちばん美しいものを見せたい」と話した。

母親なら、誰でもそう思うでしょうね、出来る事ならば。
藤城清治さんの切り絵、影絵のようで、個性的でありながら、とても素敵です。

それでも、何より家族が仲良く暮らしている…そういう日常の中で、美しい心が育つんだと思います。

天皇家、今上陛下、皇后陛下雅子さま、敬宮愛子さまは、理想の家族♡

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