両陛下、ご結婚27周年を迎える 出会いからご結婚、苦難絶えぬ道のりを振り返る


初めての出会い

6月9日、天皇、皇后両陛下はご結婚から27周年を迎えられた。昨年5月の即位から1年。この間、米・トランプ大統領夫妻をはじめ数々の海外賓客の接遇や、一連の即位関連行事、地方行幸啓や被災地訪問など、実に多忙な日々を過ごされてきた両陛下。ご結婚から今日に至るまで、けっして平坦な道を歩まれたわけではなかったお二人の歴史を、今改めて振り返りたい。

陛下と雅子さまの初めての出会いは今から33年前、1986年10月18日のこと。スペインから来日したエレナ王女の歓迎茶会が東宮御所(現赤坂御所)で開かれ、その招待客の中に雅子さまのお姿があった。

「外務省関係者や学者120名ほどが招かれたこの茶会に、雅子さまも補佐として招待されていました。当時、その月に外交官試験に合格したばかりだった雅子さまですが、前の年から宮内庁に『お妃さがしに協力を』と打診を受けていた外務省OBの中川融氏の仲介があったようです。宮内庁もエレナ王女と歳の近い女性ならば良いきっかけになると、前のめりだったとか」(皇室ジャーナリスト)

この日、両陛下は初めてお顔を合わせることになるが、まだ軽く挨拶を交わされたのみだった。陛下が「(外交官試験に)合格してよかったですね」とお声をかけると、雅子さまは「はい、ありがとうございます」と応えられたそうだ。

「当時、陛下は26歳、雅子さまは22歳でした。若年ながらもすでに世界を舞台に活躍している真のスーパーキャリアだった雅子さまを、陛下は“桁外れにスケールの大きい女性”と語っていらっしゃいます。この時すでに、陛下の心の中には雅子さまが鮮烈な印象で刻まれていたのです」(同前)

その後3ヶ月の間、お二人は何度も再会を果たす。2度目の再会は同年11月の日英協会パーテー。ここでお二人は前回よりも距離を縮め、私的な会話も持たれたという。3度目の再会は同年12月、陛下が雅子さまを招いての私的なお食事会だった。年が明けて翌1月にも、日英協会の餅つきパーティで同席。初めての出会いから3ヶ月で、急速に距離を縮められていった。

「1987年4月に正式に外務省に入省、経済局国際機関二課に配属された雅子さま。直後の4月25日には故高円宮憲仁親王と久子妃の招待を受けて、高円宮邸でのホームパーティーに招かれています。憲仁親王は国際交流基金に勤務され外務省との交流も深く、久子さまも民間企業で通訳者として勤務された経験を持っていました。かねてより陛下の“恋愛相談”を受け慕われていた高円宮夫妻が、お二人の仲人役を買って出られたのです」(同前)

しかし、この密な交際は、雅子さまの2年間の研修留学で一旦途切れた。すでに宮内庁は雅子さまをお妃の最有力候補としていたが、苦悩の末、内々の打診に小和田家側から辞退が伝えられた。

離別と再会

事が再び進展を迎えるのは、初めての出会いから6年後の1992年5月。時代は昭和から平成へと変わり、前年の2月に陛下は立太子の礼を経て正式に皇太子となっていた。

年々「お妃候補」についての報道は過熱化したため宮内庁はこの対応に苦慮。報道各社に向けて「強い協力」を要請し、全国の新聞社、通信社、テレビ局、ラジオ局175社(当時)が加盟する日本新聞協会が「皇太子妃報道に関する申し合わせ」を締結した。
①皇太子妃の候補者に関する報道は、一定期間さしひかえる②皇太子妃候補者の人権、プライバシーに十分配盧し、節度ある取材を行う、というものだった。

「この静かな環境の中、当時の宮内庁長官であった故藤森昭一氏は、小和田家に『結婚を前提とした交際』を申し出ていました。小和田家側はこれに心労を重ね、陛下と雅子さまの再会までには3ヶ月を要したのです。この間、陛下は7月18日から8月4日までスペイン、ベネズエラ、メキシコの三ヵ国を歴訪し、ニューヨークに立ち寄って帰国するという多忙な日々をお過ごしでした。

そして帰国後の8月16日、藤森長官の依頼で、柳谷謙介氏(外務省OB、当時国際協力事業団総裁)の自宅で遂に再会を果たされました。共通の話題であるオックスフォード留学中のことや、国際色豊かな旅のお土産話に花を咲かせたとのことです」(同前)

それから電話でのやり取りなど順調に交際を育み、1992年10月3日、宮内庁新浜鴨場(千葉県市川市)で陛下からのプロポーズを受けた雅子さま。すでに夢であった外務省での勤務を6年弱、順調にキャリアを積んでいただけに、決断には相当の苦悩と期間を要したと後に語られている。

遂に婚約内定

12月12日、幾度かの意見交換を経て、雅子さまの東宮御所再訪が叶う。不安な中で迎えた雅子さまからの答えは「謹んでお受けしたいと存じます」だった。後に開かれた1993年1月19日の婚約内定会見で、雅子さまは決断に至った心境を以下のように語っている。

考えている過程で、殿下からは、私の心を打つような言葉はいくつかいただきました。その一つは、これは11月の後半だったと思いますが、「皇室に入られるには、いろいろな不安や心配がおありでしょうけれども、雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから」とおっしゃってくださいました。12月の初めには、「十分、どうぞ十分お考えになってください」と。ご自身も「大変悩んだ時期がありました」とおっしゃられたので、私が「何をお悩みになられたのですか」と伺いましたら、「僕としては、雅子さんに皇室にぜひとも来ていただきたいと、ずっと思っているけれども、本当に雅子さんのことを幸せにして差し上げられるんだろうか、ということを悩みました」と言われました。そのような皇太子殿下の真摯(しんし)な、大変誠実なお言葉をいただいて、そういうお気持ちを私としては、大変幸せに思うことができました。私にできることでしたら、殿下のことをお幸せにして差し上げたいと思った次第でございます。

1993年1月19日 婚約会見

こうして、外務省出身というスーパーキャリアの皇太子妃が初めて誕生した。多くの国民がお二人を祝福し、6年以上にも及ぶ陛下の「一途な恋」の成就は人々の落涙を誘った。

過激なバッシングと苦難の道

しかし、その後の道のりは険しく、ご夫妻は皇室内外の「お世継ぎ待望論」に長年苦しまれた。次第に報道は過熱化し、識者と言われる人々までもお二人の尊厳を傷つけるような論調で圧力をかけ続けていった。週刊誌のターゲットは雅子さま。様々な“ネタ”で人格を貶め、遂には“呼び捨て”で非難を浴びせる者、廃嫡を口にする学者までも現れた。

2001年には愛子さまが誕生したが、その後も「男系男子」を求める内外からの心無い中傷は止まず、2004年、陛下が会見で「雅子の人格を否定するような発言があった」と切り出すに至る。

“雅子さまバッシング”の急先鋒として知られる評論家で電気通信大学名誉教授の西尾幹二氏は、その著書の中で執拗に雅子さまへの口撃を繰り返した。雅子さまが欧州王室のように自由度の高い生活を望んでいると断定した上で、以下のような非難を浴びせる。

巨樹にしめ縄をはって神様のようにして祈る日本人の宗教観念にどこかで関わるのが天皇の存在である。天皇は日本人の信仰世界、神道のいわば祭祀役なのであり、国際外交などとはどうあっても関わりようがないし、関わりがあってはならないのだ。小和田雅子さんも教養のある日本人の一人であるなら、それくらいの常識を弁えた うえで、天皇家にお輿入れされているはずではないか。

西尾幹二『皇太子さまへのご忠言』

また、西尾氏は雅子さまのご婚約会見、愛子さま満一歳のご誕生日に際しての会見、愛子さまが三歳になられた年に公開された「雅子さまとリズム体操を楽しむ愛子さま」と題した宮内庁提供のビデ オ映像について、「雅子さんの“奇異な言葉遣い”」などと中傷した上で、以下のように続ける。

私が女性たちに聞いた意見では――言っておくが皆、高学歴の方々である――、第一発言に非難が集中し、第二発言には寛大で、第三発言には首を傾げて、不可解という表情だった。 第一の「私の言葉で一言付け加えさせていただければ」は、テレビでかつてこれを聞いたとき「差し出がましいと思った」「生意気なイヤーな感じがした」「出しゃばりだと思った」「理屈っぽい人だと思った」「旦那を押しのけてしゃべる女だ」「出過ぎだよ」とさんざんな評価であった。

(中略)

雅子妃は私からみるなら、アメリカナイズされた民主主義にとっぷり浸った、自己主張の強いタイプで、それ以外では少し配慮の足りない普通の女性、外国に憧れていて日本流儀を好きではないし、信じてもいない、やや軽桃浮薄な進歩的知識人傾斜の価値観の持ち主である。そういう方が皇室に入ってうまく行くはずはない。

西尾幹二『皇太子さまへのご忠言』

こういった推論に基づく主張が尾ひれを付けて、週刊誌やネット上では誹謗中傷が更に苛烈を極めた。愛子さまも健やかに育たれたが、メディアに多くお出ましになるのが災いして、格好のバッシングの餌食となった。

「両陛下は長きに渡り想像を絶する苦しみと絶望の中にいらっしゃいました。出会いから今日までのお二人の日々やご経験は、けっして美談などではなく、特に世間からの誹謗は今もって雅子さまを苦しめているかもしれません。ですが、だからこそ即位後に国民に見せられた何度かの雅子さまの涙、そして日々のご活躍、愛子さまの見目麗しいご成長が、多くの者を感動させる力を持ったのではないでしょうか。

人格否定発言から16年、天皇ご一家が歩まれた道は筆舌に尽くしがたい険しいものでしたが、初志貫徹し雅子さまをお守りし続けた陛下は、いまお二人で揃って公務や祭祀にお臨みになる日々を、大切にすごされているに違いありません」(同前)

9件のコメント

 西尾幹二「皇太子さまへのご忠言」
まさにその通りだと思う。 皇后は、欧州王室のような自由度の高い生活を望み改革しようとして、摩擦にあい、精神病になったのだろう。
 青春時代を海外で送った皇后には、日本人や皇室ありかたが理解できてなかった。 皇太子妃や皇后の伝統的なありかたを学ぶ姿勢もなく自己主張が強かったから、上皇后と摩擦があったのは想像できる。 キコさんは、美智子さんをお手本に皇室に馴染もうと努力したから、美智子さんに可愛がられたのだろう。
 雅子さんは、伝統を存続しなければならない皇室には合わない。 平民でも理解している物事の筋道、謙虚さ、控えるということが理解できてない。

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「巨樹にしめ縄をはって神様のようにして祈る日本人の宗教観」

フイージーなど南の島の人たちもオーストラリア国籍を選び英語を話す時代。いつまでもそうはいられない。国民とともに変化していく皇室の希望の星が雅子様です。

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 そうです、時代は変わったのです。
日本人は平和ボケしてるから、今の天皇皇室でも満足しているのでしょう。
 北朝鮮、ロシア、中国の日本への攻撃を知っているなら、平和ボケ以下の天皇皇后皇族を奉れますか?
 秋篠宮家みたいな犯罪者を抱えた天皇を支持できますか?  そんな皇室を存続させるため女性宮家創設を許せますか?
 皇族の人間性が変わった今、天皇制皇室は、もう日本国に合わないのです。 廃止が妥当です。

いまだに、西尾幹二さんみたいな人がいるんだね。
そんな人達が、秋篠家の人達を支持しているのが、不思議だわ。

常識や皇室の伝統やお血筋とか考えたら、文仁さんや紀子さんの方がずっと問題かあって、皇室に相応しく無いのにね。

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天皇の役割をアニミズム的な祭祀をメインに限定することで、天皇は貨幣経済とは無縁なものだと国民に思わせお金の流れを曖昧模糊とさせておく意図が働いているのではないか。

朕もマサコもLGBTやSDGsには理解があり、どちらかといえば西尾の嫌う進歩的思想の持ち主なのである。朕にかぎらず皇族はみな保守系文化人の思う以上にリベラルな建前を尊重しているのである

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