全国に広まった「紀子さんスマイル」だが……
お導きを賜りながら、自らの責務に向けて一層努めて参りたい」
1990年1月12日、一般の結納に当たる皇室の伝統行事・納采の儀を終えた紀子さまは正式に婚約者となったことを受け、こうコメントを発表された。この日からさかのぼること半年。昭和天皇の崩御で国全体がふさぎ込む中、皇室に明るい話題がもたらされた。89年9月12日、皇室会議で秋篠宮ご夫妻(当時は礼宮さまと川嶋紀子さん)のご婚約が決まったのだ。
川嶋家は故辰彦氏が学習院大で教鞭を執っていた関係から同大教職員用共同住宅で暮らしていたため、質素なお暮らしぶりをたたえ「3LDKのプリンセス」と呼ばれた。
これを境に90年6月の結婚の儀まで、紀子さまをテレビで見ない日はほぼなかった。当時はワイドショー全盛期。まるで芸能人扱いで、日課だったジョギングのご様子が連日のように放送された。時折お見せになる、恥じらうような笑顔は「紀子さんスマイル」と名付けられた。ご結婚後も順風満帆の日々だった。だがその紀子さまにも様々な意見が出ている。きっかけはやはり眞子さんの結婚騒動だった。
「長女の気持ちをできる限り尊重したい」
2020年9月、紀子さまは自身の誕生日に際して発表した文書で、眞子さんの結婚についてこう言及された。“尊重”というキーワードにSNSの“住人”たちは敏感に反応した。
「結婚を許すのか」
「国民の血税を使ってわがままに育てたのは母親だ」
などという声が拡散されたのだ。とばっちりとも言える反応は、それだけ眞子さんの結婚に否定的な意見が多かったことを意味した。
平成期、羨望の眼差しが向けられた秋篠宮家のプリンセス3人は、令和となり思わぬ状況に直面している。前出の元宮内庁幹部はこう指摘する。
「お三方が一転して逆風下にあるのは、批判に対する小室夫婦の木で鼻をくくったような姿勢が反感を買ったことが原因でしょう。一宮家から皇嗣家となり、責任も注目度も高まったことも影響したはず。佳子さまは最近ではご公務に励まれていますが、ご公務への姿勢の変化も1人暮らしで自立しようとされているのも、様々な理由で結婚に4年も費やした姉のケースを意識してのことではないでしょうか」
逆風が宮家全体に及び、若者を中心に広がる皇室への無関心や悠仁さまと愛子さまを比較するような議論を助長する結果になれば、残念なことだ。
デイリー新潮編集部
親を見ての言動でしょうね
子は親の鏡と申しますし
愛子様はゴミが落ちていたのを自ら拾ってそばにいた職員がびっくりしたと言うのを何かで読んだ事あります。
歴代の、天皇家、宮家の中で、
「自主性を重んじて」きたお家は無いかもしれない。
秋篠宮家が、はじめての、自主性を重んじた家では。
自主性と言う名で、キリスト教大学もOKに。
そのうち、悠仁さまも、海外居住されるのでは?
パフォーマンス公務はもう時代に合わないと思います。美しいとか可愛いとか見た目はどうでもいいのです。国民の声を受け入れるのが公人のあるべき姿と思う。
冒頭「お代替わりで皇位は将来秋篠宮家に移ることがはっきりしたが」はっきりしていないですよね。典範を変更したら簡単に覆る事を、既成事実化しようとする論調は聞くに耐えません。
>学習院大で教鞭を執っていた関係から同大教職員用共同住宅で暮らしていたため、質素なお暮らしぶりをたたえ「3LDKのプリンセス」と呼ばれた
この文章だけでも、違和感がある。
学習院大で教鞭を執っていた⁉️
娘の、昭和天皇喪中に行われた婚約内定会見。その直前に、川島辰彦氏は「臨時非常勤講師」から、常勤講師、助教授を飛び越して「教授」になった。
宮内庁の勧めで「通名に多い川島」から「川嶋」に改名したと。
娘の卒業アルバムには「川島紀子❗️
同大教職員用共同住宅、そこは低賃金職員のために建てられた構内の官舎。
大学教授は入居しなかったはず。
「3LDKのプリンセス」⁉️ 当時は「3DK」だったのに、何故か大きくなった‼️
「納采の儀」はDKで行われ、狭い部屋に金屏風わ立て キッチンを隠していた。
が、何故か、その官舎は解体処分。今では、跡形も無い。
「質素なお暮らしぶり」確かに❗️
婚約内定した後、川島辰彦氏が大声で 「皆さん娘が皇室にお嫁に行きますから、ご寄付をお願いしま~す❗」と ご近所に向けて叫んでいるのが、テレビ放送で流された。
按摩をしていた祖父のバラック、玄関インタビューにはステテコ姿…これもテレビ放送された。
川島辰彦氏は「0円婚」を自慢していて、入内支度金2000万円はまだ運転免許を取っていない、弟(当時:高校生)の赤いフェアレディZに使われた、これも報道された。
娘の嫁入り支度は段ボールに詰められた縫いぐるみと漫画本、安物のアクセサリー。儀式に必要な白い手袋さえ、領収書を付けて宮内庁に請求した…
これらも報道された事なのに。