美智子さまの重篤な“シックマサコ症候群”に震撼 「雅子さんの寝室は、お祓いが必要ね」


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皇室の近況

行楽シーズン真っ只中を迎えている。那須御用邸の所在地である栃木県那須町の那須岳(茶臼岳)では紅葉が進み、多くの登山客で賑わいを見せているという。過ごしやすい季節を迎え、皇室の外出を伴う公務にも再開の兆しが見えている。国内の新規感染状況も落ち着き始め、これに合わせて11月上旬から中旬にも「立皇嗣の礼」が挙行される見込みだ。

「立皇嗣の礼」は秋篠宮殿下が皇位継承順1位の皇嗣(事実上の皇太子)となったことを国内外に宣明する儀式である。

「天皇、皇后両陛下や皇族方も参列し、国内要人が一堂に会することになるため、儀式の内容や賓客の数などについてどのように調整するのかにも注目が集まっています。基本的には平成の『立太子の礼』にならう形となるようですが、新型コロナの影響により大幅な簡素化は必至でしょう」(皇室ジャーナリスト)

政府は今月8日にも、菅義偉総理が委員長を務める式典委員会を開き、日程を決めるという。

美智子さまのストレスはピーク

徐々に明るい兆しが戻る中ではあるが、引き続き皇族方は公務以外の私的外出を控えた日々をお過ごしである。特に、昨年の退位以降一切の公務から退いた上皇ご夫妻は極めて厳格な自粛生活を送られている。

上皇陛下の外出といえば、週に2回程度皇居の生物学研究所に赴かれるか、宮内庁病院での診察のみとなっている。また、美智子さまは先月11日、18日に、昨年受けた白内障と乳がんの手術の経過観察のため宮内庁病院を約半年ぶりに訪れて以降、再びの巣篭もり生活に入られている。ある宮内庁関係者はこう話す。

「公務から退いたとはいえ、引き続き両陛下主催の春、秋の『園遊会』や、海外からの国賓をもてなす際などに開かれる『宮中茶会』には出席される予定でありました。ただ昨年の園遊会は春秋共にお代替わりとかぶったため取りやめに、今年は新型コロナの影響で春秋共に取りやめとなりました。4回連続園遊会が開かれないのは、昭和28年からの園遊会の歴史上初めてのことです。

即位30年記念の宮中茶会(2019年2月26日、皇居・宮殿「豊明殿」)

美智子さまは社交の場が大変お好きでいらっしゃるため、これには大きなストレスを感じていらっしゃいます。また、約30年暮らした皇居の敷地に比べて、高輪の仮住まいはあまりにも手狭です。在位中に日課とされていた皇居内での散歩についても、国民からの目を気にされて再開できません。美智子さまがあまりにもお可哀そうでなりません…」(宮内庁関係者)

雅子さまの寝室は“倉庫”にとご要望

慣れ親しんだ皇居での生活から離れ、上皇后として活躍できる茶会の機会もない美智子さま。住居環境、活動範囲の不十分は、着実に美智子さまを蝕んでいるようだ。『女性セブン』(10月8日号)によると、夏頃に美智子さまのストレスがピークに達し、周囲を震撼させるほどに強いお言葉で接されるような場面があったという。ある上皇関係者はこう話す。

「今、美智子さまのストレスを如何に緩和していくかが、宮内庁や上皇職60人の最も重要なミッションとなっています」(上皇関係者)

目下の課題は、一日も早く皇居の修繕を完了させ、天皇ご一家が赤坂御所から引っ越し、上皇ご夫妻が赤坂御所に移り住めるようにすることであるという。

「赤坂御所は、天皇ご一家の退去後には大規模に修復され、約4ヶ月かけて美智子さまの理想とする仙洞御所に生まれ変わる予定です。赤坂の敷地には秋篠宮家もありますし、いつでも往来が可能となることで、紀子さまや悠仁さまともより多くお会いできるようになります。日頃、高輪で静かな生活を強いられている美智子さまにとって、これだけが未来への希望なのです」(同前)

また、仙洞御所の修繕にあたり、美智子さまが最も重視されているのが、雅子さまの寝室を大規模に改装することだという。

「本来であれば、雅子さまの寝室をそのまま美智子さまの寝室とするのが、コスト的にも最適なのですが、美智子さまは雅子さまと同じ天井を見て朝を迎えるなどつらすぎる、とおっしゃるのです。

曰く、雅子さまは長らく病に伏せられて、特有の憂愁に満ちておられ、同じ部屋で寝起きすれば美智子さま自身もそのオーラに引き込まれてしまう。そうなっては雅子さまも責任を感じるだろうから、ご一家の退去後には念入りなクリーニングとお祓いを行った上で、倉庫などに改築するべきだということです。雅子さまのことを思いやる美智子さまのご慈愛そのものと言えましょう」(同前)

この件について、元宮内庁職員の小内誠一氏はこう話す。

「単に、美智子さまが雅子さまのお使いになった寝室に入られたくないとおっしゃっているように聞こえますが…。美智子さまの雅子さまに対する感情はただならぬもののようで、時々漏れ聞くこういったエピソードには心配の念がこみ上げてきます。美智子さまは、“シックハウス症候群”ならぬ重篤な“シックマサコ症候群”を患われているのかもしれません」(小内誠一氏)

3件のコメント

條原常一郎さんが作り上げられた「慈愛の美智子様」像の、真実の実態を綿密に調査し、YouTube配信した。

紀子さん顔負けの入内に向けてのハニトラ、正田家川島家の成り上がりぶり、醜い嫉妬からくる凄絶な雅子さま苛め…。

それに対する反論だろうか?? 美智子様の使令だろうか❓️ びっくりするような記事を出ていた。
「慈愛の美智子さま」「悲劇ヒロイン、忍耐強く献身的な美智子さま」
誰か、この記事の内容を信じた人はいるのだろうか⁉️
    ┅┅┅┅┅┅┅
2023年5月5日
『OTONA SALONE 』(主婦の友社)
仁科友里(2021年11月の記事の再掲)

国民の皇室人気が高まったのは、上皇后・美智子さまが平民で初めて皇室にお入りになったことがあげられるでしょう。

美智子さまをとりあげることで、女性週刊誌は売り上げを伸ばしてきたと聞いたことがありますが、それではなぜ、それほど国民が美智子さまに注目したのか。

もちろん、美智子さまが自分たちと同じ平民の出身ということもあったでしょう。
しかし、本当に庶民の心をひきつけたのは、美智子さまが、誰も想像することのできない“愛”と“苦悩”をお持ちになっていたからではないでしょうか。

渡邉みどり著「美智子皇后の『いのちの旅』」(文春文庫)を読むと、ご成婚に至るまでの美智子さまの道のりが、決して楽なものではなかったことがよくわかります。
上流家庭の子女が集まる軽井沢のテニスコートで上皇さまと知り合い、テニスをご一緒するようになった美智子さま。

聖心女子大学のブリット学長からは「(あまり親しくなさると)皇太子(当時)に結婚を申し込まれたらどうするの?」と注意されたそうですが、
美智子さまは「いいえ、絶対にそんなことはありえません。だって、我が家は貴族ではありませんもの」とお答えになったそうです。
当時の常識では、皇太子妃は旧華族の令嬢がなるものと考えられていたからです。

しかし、時代は急速にお二人を結び付けるのです。
候補者選びが難航していることもあって、皇太子が望むのであれば、一般家庭の女性でもいいのではないかと「平民解禁」の方向に向かいます。
皇室や上皇さまから結婚の打診を受けても、美智子さま側は何度も「あまりに身分が違う」とご辞退。
上皇さまはあきらめることなく、電話で直接ご自分の気持ちをお話になることにしたのです。

 こうして、美智子さまは上皇さまのプロポーズをお受けになりました。
歴代の皇后さまは男のお子さまをご出産するのに苦労したものですが、美智子さまはご成婚一年あまりで、現在の天皇陛下をご出産されました。

しかし、美智子さまを待ち受けていたのは、宮中のいじめでした。
「平民だから」という理由で、特にお姑さんにあたる香淳皇后とは相性が悪かったと言われています。
肉体的、精神的に追い込まれた美智子さまはお一人で静養されるまでに追い込まれてしまいます。

嫁姑の関係に悩む美智子さまに自分の姿を重ねた庶民もいたことでしょう。
望まれて結婚したはずなのに、苦労をさせられたという意味で言えば、“失敗”かもしれませんが、上皇さまは美智子さまを愛し、美智子さまは天皇陛下だけでなく、秋篠宮さまもお生みになっている。
これは皇太子妃としてのお役目を果たしたということですから、“成功”と言えるでしょう。
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以上は、ほんの1部切り取りコピー。
この後、紀子さん上げ(…美智子さんに劣らぬ素晴らしい国母…)が続き、果ては悠仁さん上げ。
最後は、NY夫妻に幸あれ‼️ 。

情報操作、報道弾圧、特権行使……政界・経済界・マスコミを牛耳る 宮内庁のラスボス 美智子さんの威力の凄さは知ってはいたが。

いくら何でも やり過ぎだろ❗️

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第31回国会 衆議院 内閣委員会議事録 第5号 昭和34年2月6日に

「美智子嬢は二十五人の見合いをしておられた。そして最後に波多野という青年と婚約、これを破棄して皇太子の方に振りかえた」など、ミテコさまの出自や素行が質疑事項として挙がったのが残っている。

ミテコさまの家では決して入会することが出来なかったはずの「上流家庭の子女が集まる軽井沢のテニスクラブ」に入るために 一家揃って群馬県舘林から引越してきたことやら、ジャーナリストS原さんが詳細に調べて、バレた。

主婦の友社の 仁科友里。渡邉みどりの後釜狙い⁉️
S原さんは、この事を御存知だろうか? 仁科友里の野望を調査してほしい(“⌒∇⌒”)

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