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(宮内庁OB)
美智子さまお誕生日を迎えて
10月20日、美智子さまが86歳のお誕生日を迎えた。初の庶民からの皇太子妃として国民の寵愛を一身に受け、「国民に寄り添う皇室」を体現された美智子さまはまさに偉大な「女優」だったと言えるだろう。そんな美しく偉大な美智子さまのエピソードを紹介したい。
平成という時代を通じて、天皇家と秋篠宮家は親密だった。秋篠宮ご夫妻のみならず、眞子さま、佳子さま、悠仁さまも、公式・非公式を問わず、頻繁に皇居に訪れていた。いまではイロイロあったため、眞子さまがだけが頻繁に美智子さまに御会いになり歓談されているという。祖母と初孫の愛情は令和になっても堅固だ。「目に入れても痛くない」とはまさにこのことだろう。
しかしその一方、天皇家と東宮家には溝があった。「皇太子」という重い立場を鑑みれば、秋篠宮家よりも皇居への出入りが多くて然りのはずである。だが、適応障害で苦しまれていた雅子さまのみならず、皇太子殿下までも皇居にいらっしゃるのは必要最低限であり、ご両親との間には深い溝があった。
この溝の深さを象徴するのは、皇太子殿下の「人格否定発言」だ。雅子さまの人格やキャリアを否定するような動きがある――。この衝撃的な発言は、ご両親である天皇皇后両陛下に相談されることなく発せられた。
メディアは犯人捜しをすぐに始めた。あわてて天皇陛下は文章を発表し、(火消しのため)その真意を明らかにするよう殿下を促した。しかし冷静に考えれば、「ご両親に相談しなかったた」という事実は、そこにこそ人格否定発言の原因があると告白しているようなものだ。
端的に回答を言えば、美智子さまが雅子さまの人格を否定されていたのだ。「石女」だの「無銭飲食女」だのと雅子さまの悪口を酒の肴にして、毎週のようにお茶会が開かれていた。
慈愛・慈悲に満ちた美智子さま?
このような平成皇室の異様さ、言い換えれば「陰口体質」の酷さを考慮すれば、皇太子殿下が頑なに皇居を訪れなかった理由は明白であろう。そう、これは雅子さまを守るための無言の抵抗だったのである。だが当時はこれと真逆の報道が続いた。
たとえば上皇陛下のご学友で、美智子さまの懐刀として名高い橋本明さんは(共同通信記者)は、自著『平成皇室論』(新潮社、2009)のなかで、「皇太子妃が一人で両陛下とお会いするのは、年一回の誕生日のみ。現実離れし過ぎている」と疎遠を嘆きながらも「温和なお人柄の皇后が皇太子のお妃をいじめるはずがない」と述べている。
しかし冷静に考えてみて欲しい。もし美智子さまが温和で人柄であったならば、雅子さまが適応障害でオランダ療養された際に、上皇陛下(当時、天皇)が「私的に外国を訪問したことは一度もありません」と発言されるはずがないだろう(2007年12月20日お誕生日会見)。慈愛・慈悲の美智子さまがどうしてこれを止めなかったのか?
慈愛・慈悲に満ちた美しき美智子さま——。だが侍従たちの日記を読むとイメージは異なる。入江相政侍従長(1905-1985)は、「東宮妃が予の書くものについて恨んでいらつしやるから当分内廷のことについては書かない方が無難と長官が云った由。あきれたことである」と述べている(昭和38年3月22日)。
また山田康彦侍従長(1907-1967)は、美智子さまにご実家(正田家)のべったり具合を諌言したところ「そこまで自由を縛るのか、顔も見たくない」と言われ、左遷されてしまったという(橋本明『美智子さまの恋文』新潮社、2007)。
これが美智子さまの本当の姿だったのだ。
愛子さまに雅子さまの悪口を吹き込む
少なくとも美智子さまは雅子さまを一方的に邪険にされていた。ここで驚くべき出来事を紹介したい。愛子さまが小学校に進学される少し前の事に起きたことだ。愛子さまの進学を記念して、皇太子ご一家は挨拶のために皇居に訪れ、陛下と美智子さまを交え歓談となった。歓談といってもどこか他人行儀で緊張感のある空気が漂う。
途中、雅子さまが席を立ち化粧室に行かれたときに事件は起きた。美智子さまは愛子さまを近くに抱き寄せると「あなたのお母さんは弱い人なの。お母さんみたいに育っちゃだめよ~」と仰った。その場の空気が凍った。天皇陛下も皇太子殿下も何が起こったのか理解できず唖然とされていた。
お解りだろうか? 平成の時代、皇太子ご一家が皇居に行かなかったのは、愛子さまを守るためなのである。いつぞやの会見で、上皇陛下が(当時天皇陛下)が、愛子さまと会う機会が少ないことを嘆いていたが、その原因は美智子さまにあると言わざるを得ない。
自愛の毒婦正田美智子
いつまで待っても過ぎ去らぬ昭和の負債。
今”〇ぬ”又は”あ〇〇〇”されるのを
待たれている要人の内の3本の指に入ると思う
傲慢で嫉妬心とコンプレックスが犯した悪魔の仕業‼
12:16プレジデントオンラインから、ヤフーニュース配信。
❮「国民から批難される行動はしない」そんな昭和天皇が皇太子さまの進路として望まれていた大学名 ❯
好き者で浮き名を上げた明仁皇太子、学業奮わず学習院も留年(退学)の局面に、時の天皇陛下は「外交」と称し、ヨーロッパ訪問させたという。で、学習院中退。
一方、奔放な男性遍歴を重ねた正田美智子さんは、美智子さん25回目のお見合いで出会った。
2人の出会いや経歴は美化されたが、実情はいろいろ暴かれている。
今回のプレジデントオンラインの記事は、明仁さんの進学先が 学習院か東大か??と迷われた……つまり、大変ご優秀な秋篠家長男と同じではないか❗️ ヒェ〰️⁉️
記事を書いたのは、矢部万紀子氏❗️
天皇ご一家は、長い間ずいぶんとご苦労をされた事が、このような情報が出て来る度に、改めてわかります。
それにもかかわらず、愛子さまがあのように素直で聡明なお嬢さんに成長された事は、両陛下の想像を越えるご努力があったのでしょう。
鬼婆の鬼畜といえる行いは負の連鎖をおこし、次男一家に受け継がれています。
国民は連中を監視し続けなければならないと思います。
わたしは世界中の笑い者となった国の国民にはなりたくないです。
本当にNYのうましか夫妻のこととか
わざわざ海外に日本の恥を晒しに行かせたも同然
そしてH様のコピペ作文とか
A宮家…将来の天皇についても
批判され馬鹿にされまくっている情けない
まず皇族と議員の「不逮捕特権」を廃止するべき
「悪いことしても逮捕しませんよ」なんていう
特権を設ける理由が理解できない
皇族や議員が「悪いことしますよ」っていう
前提ってわけでしょ?
こういうBBA、最低だな。
最低最悪なのです。
心が貧しいミテコ皿
本当のお嬢さまは人を苛めたりいたしません
成長過程において何かしらの影響を受けたことで人格形成に歪みが生じたのでしょう
原因は両親にあった?
両親の口癖が 今に見ておれ 今にみんなを追い越してやる ○落○放出自だからと言って馬鹿にした奴らを
見返してやる 的な精神の元で育ったのならミテミテも同じような精神構造になると思います
コンプレックスの塊、嫉妬心、ネタミソネミが精神に根深く宿りながら大人になってしまった
愛子さまを見るとこれが本当の皇女さま、お嬢さまと感じられます
バーバに苛められたのにミテバーをたて感謝の言葉を述べることを忘れない
私には真似が出来ません
雅子さまも苛め倒されたのに
其れでも日々の愛子さまにはバーバを悪く言ったりしなかったのでしょうね
私には出来ません 私なら婆さんの所に近づけさせません 心が狭いので。
ミテミテとオキツネ妃はやはり成長過程に問題があったと思います。小室もです
アキキコの結婚を許したこと、小室を受け入れ裁可を出したこと、カワタツと仲良く麻雀やカラオケが出来たこと全て根深い所で同じ血が流れていたからでしょう
美智子様が川島さんと「麻雀をした」という
記事に当時驚いたもんです
偏見かもしれないけど…ハッキリ偏見ですけど
麻雀てやさぐれたおっさんが咥えタバコで
お金を賭けながらやるイメージだったんで
「美智子様が麻雀やるなんて⁈」とびっくりしました
今にしてみれば実家は裕福かもしれないけど
“深窓の令嬢”ってわけじゃなかったのね
試し乗りが本当なら結構はすっぱな女性だったみたいね?
KI子様と根底の部分は同じね
もし昭和天皇が平成天皇みたいな方だったら
お子さん達の学歴も…
あっ⁈ミテコさんは自分のことだけが大事な人だったわね?
子供より自分が目立つことをもっとやったかな?
同じ人種ということです
鬼婆様は鬼子さんのことを
「したたかで策略家。見込みがある。」と褒めていたそうだ。
人の心理を操作できるのが「強い人間」だと思っていたのか。幼稚な人だ。
ノーパンで突撃したからだろう
どこにでもある嫁姑問題だよ。
病気で公務ができない(家事や育児ができない)嫁を姑は(影で)嫌味を言うものです。
それをかばう息子がいるのでますます嫁が憎くなるという話でしょう。
天皇は「雅子さんの事は一生お守りします」と誓った事を守っているのだからご立派です。
いつまでもマザコンの男も少ないない中において。
感想
こんな話をいちいち重要問題として書くかねー。
仰るとおり。職員を動員してまでの三流誌漁り同様、
本来であれば話題にもしたくない低次元の事。
”立場”にふさわしい立ち居振る舞いを真剣に心掛け
て居たなら、ある筈も無い事ばかり。
婆の本性が邪なだけで、如何に空疎低レベルである
かの論証には成るのでは?
職員が低レベルなのです。
この記者は何の目的で書いたのか?
見て聞いてきたような力作
想像で結論を導きだしている
徳仁発言に雅子は介入してなかったか?
「ワタクシには皇太子妃など務まりませんから離縁してください」などと言わなかったか?
いくらでも想像できる。
結局、徳仁皇太子が、立場もわきまえない発言が皇室を乱した。 これが妻子を守るためと称賛されるなら、国民のために秋篠宮家問題にも発言すべきではないか。
宮内庁と言う日々緊張を強いられる職場で、職員さんが垣間見る皇族方のちょっとした瞬間にこそ、その人となりが現れるのではないでしようか?
だいたい日本の行事や式典には意味不明に鯱張って緊張感を強いられるものが多すぎると思いませんか?ミチコサマが意地悪婆さんになってしまわれたのも本当は前天のことがそんなに好きではなかったから?
「私が頑張ってあんたの人生を彩り楽しくしてあげたのよ!」とか思っていそうです。