美智子さま「焦り」の裏で進む、愛子さま「帝王学」 雅子さまの慈愛と、上皇后の自愛


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着々と進む愛子さまへの「帝王学」

11月8日の“立皇嗣の礼”が終われば、いよいよ皇位継承問題について議論がはじまる。このままでは皇室は「悠仁さまお一人」という状況になりかねない。多くの国民は女性天皇・女系天皇を容認、言い換えれば「愛子さまに即位していただきそのご子息に皇統を紡いでいってもらいたい」と願っている。はたして議論はどのように進むのだろうか。

愛子さまがお誕生になられた時に「生まれてきてくれて、ありがとう」と涙ぐまれた日から18年の月日が流れて「女性天皇」議論が真剣に出始めた。雅子さまが愛子さまに施す「帝王学」とはいかなるものであろうか?

『週刊文春』2020年1月2・9日号の記事では、雅子さまが愛子さまへ「帝王教育」をしなかった、あるいは望まなかったと報じている。これは署名記事で、これを書いたのは『雅子さま物語』の著者で、天皇家派の一人と目される友納尚子氏(皇室ジャーナリスト)だ。だが正確に表現するならば、美智子さまの手前、公に「帝王教育」について言及できなかったとすべきだろう。美智子さまは知性も美貌も兼ね備えた雅子さまの華々しい登場に嫉妬しイジメていた事は過去にも説明した通りだ。

当時、皇太子であられた天皇陛下も雅子さまにプロポーズされた時に「僕が一生全力でお守りします」と誓われたが、まさか母親が雅子さまにとっての最大の障害になるとは予想だにしなかったろう。天皇陛下と雅子さまも子宝に恵まれればプレッシャーのあり方も変わると願っていただろう。だが、その思いも愛子さま誕生後にあっけなく踏みにじられることとなった。

上皇陛下は愛子さまの誕生を喜びになられており、ゆくゆくは愛子さまが即位されてもよいというお考えだったことは夙に知られる。

だが、美智子さまは男子の世継ぎを産めなかった雅子さまを激しく罵る一方、ご自身が世継ぎとなる男子を二人産んだ事に対して優越感を浸っていたのだ。美智子さまはお茶会で「雅子さんは私ほどではないにしても、知性も美貌も兼ね備えていると報道されていますね。ですが男子の世継ぎを産めなかったのですから、皇后の器ではなく、国母ではありません。私は皇統と国民の為に男子を二人も産みました」とご友人にこぼされておられた。

結局のところ美智子さまは、ご自身以上に輝く雅子さまに嫉妬されていらっしゃったのだ。ゆえに海外親善の仕事を割り振らなかった事を皮切りに、ことあるごとにお茶会で雅子さまを「石女」を揶揄して攻撃し続けたのである。

この「人格否定発言」に前後して、時の宮内庁長官が秋篠宮家に第三子を所望されたことがすべてを物語っていよう。

そんな状況の中、雅子さまが堂々と愛子さまを天皇にさせたいと言ったらどんな事になるかは安易に想像がつく。なので雅子さまがとられた行動は表向きには愛子さまには「帝王教育」もしないという事でしたが、来年には学習院大学進学そして英国の大学への留学も考えられてるという。美智子さまの目を盗み着々と愛子さまの「帝王教育」も進み、「女性天皇」議論が真剣に持ち上げられる程となった。雅子さまの行動は愛子さまを守るための行動だったと私は考える。

ふと目にした週刊誌にも次のようにあった。

もしかすると愛子さま(18)が将来天皇になる道が開かれるので…私はそんな空気を感じます。愛子さまは、おそらく学習院大学に進み、文学部で歴史を先行する可能性が高いでしょう。女性天皇についての議論が進む時期は、ご本人が成人になる前の大学在学中だと考えられます。帝王学を学ばれることになれば、お父様同様に学習院大から英国の大学などへ留学となるのではないでしょうか

FRIDAY 2020年1月10日・17日号

美智子さまの頭の中にあるのは自身の保身のみ

美智子さまにとって自身の「立場」さえ保証してくれれば、次期天皇が愛子さまになろうが、悠仁さまになろうが関係ないというスタンスだろう。保身がすべてということだ。

そんな美智子さまにとっての一番の恐怖は、雅子さまからの仕返しだろう。美智子さまは皇后となり頂点となった瞬間に香淳皇后いじめを始めた、雅子さまが皇后となられた今、自分がいじめられる番になるという恐怖のなか生活されてるのだ。まさに自身が蒔いた種がブーメランの様に振り返ってきている。

もっとも、幸いなことに雅子さまは「慈愛に満ちた」お方なので、「復讐してやる」などとは一ミリも思われていないと確信する。だがその一方、己が保身の為に、上皇后という地位を作り、一般参賀にも参加する事により自身の力を誇示されたのは「哀れ」の一言に尽きる。まさに美智子さまには「自愛に満ちた」という言葉が似合うと思われる。

2件のコメント

>美智子さまは皇后となり頂点となった瞬間に香淳皇后いじめを始めた、雅子さまが皇后となられた今、自分がいじめられる番になるという恐怖のなか生活されてるのだ。

次々と出される美智子様美談は、その恐怖からくる自己防衛だろうか⁉️

9/18 6:00『マイキッチンで作られる美智子さまの「三色そぼろ弁当」』 (おとなの週末:高木香織)

天皇家の食事は大膳(だいぜん)という皇族方の調理係の仕事である。
しかし、「あたたかいホーム」をつくりたいと願われていた美智子さまは、お住まいに小さなキッチンを設け、ご自分でも料理をされるようになった。

忙しい毎日のなかで、美智子さまが欠かさず続けられたことの一つに、お子さまがたのお弁当作りがあった。
学習院初等科の6年間を除き、幼稚園と中・高校の8年間、3人のお子さまのお弁当を、よほどのことがない限り毎日作り続けたという。

やがてお子さま方はそれぞれよき伴侶を見つけてご結婚され、お孫さま方がお生まれになった。美智子さまはおばばさまとして、小さなお孫さま方の成長を目を細めて見つめられている。
悠仁さまがお生まれになり、愛子さまが翌春にご入学されるころ、平成19年のお誕生日の会見で美智子さまはお孫さま方とのふれあいについてこう述べられている。

「……祖母として幼い者と接する喜びには、親として味わったものとも違う特別のものがあること、また、これは親としても経験したことですが、今、また祖母という新しい立場から、幼い者同士が遊んだり世話しあったりする姿を見つめる喜びにも、格別なものがあるということは申せると思います。愛子は、眞子や佳子と遊ぶ時、大層楽しそうですし、眞子と佳子も、愛子を大切に大切にしながらも、大人とは異なる、子ども同士でのみ交せる親しさを込めて相手をしています。悠仁に対しても、二人の姉たちが、丁度小さなおかあさんのように気遣いつつ、しかも十分に手加減を知った無造作で、抱いたり着替えさせたりしている姿や、小さな愛子が、自分より更に小さい悠仁の傍でそっと手にさわっていたりする姿を、本当に好もしく可愛く思います」 両親の意向を大切にしながら見守っていこう、とされるお気持ちが伺われるお言葉である。美智子さまは、おばばさまとしてお孫さま方に何かを教えるというより、ご成長の様子を愛おしく大切に見守られているのだろう。
     ◈ ◈ ◈ ◈ ◈ ◈
お出掛け好きの美智子さんが、渡邊みどりさんが亡くなっても葬儀にも行かなかったは、次の上げ記事を出す人を見付けていたからだろうか⁉️

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美智子様って、エゴサーチして、自分の評判が良くなるようにマスコミを操作してるんでさかねぇ。
やればやるほど、人気がた落ち。

イマンさまの占いによると

【 敬宮様の立太子は規定路線です。
K田さんもA生さんも知ってます。
只表に出てないのはKKの事があるので、 敬宮様の御結婚相手が広く国民に慕われた後でという事みたいですよ。

その頃はあの家は無いです。
それとジャニーさんが、死んだ後は惨めですね。
皿はそれ以上に悲惨です。皇統譜から名前が消され、遺骨は実家に返されます。
受け取りを拒否したので、共同墓地に入れられます。
夫は皇霊殿に入れません。】

皇統譜から名前が消されるのは、皿だけ❓️鯰や狐や馬、鹿、深海魚は⁉️

2025年から兆しが出て、終には消滅か⁉️ なんか、希望が持てるね。

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