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悩み深き秋篠宮家
秋深まる中、国内の観光需要喚起策「Go To トラベル」が好調で、行楽地は賑わいを見せているそうだ。特に、開放感溢れ三密回避ができるアウトドアは大人気を博しており、皇室ゆかりの那須も毎週のように登山客で賑わっているという。
復調する国内情勢の中、11月8日には秋篠宮殿下が皇位継承順1位となったことを宣明する「立皇嗣の礼」が行われる。秋篠宮家においては、9月に紀子さま、悠仁さま、10月に眞子さまがお誕生日を迎えられるなど、喜びが続いている。しかし同家には、慶事続きとは思えない陰惨な空気が漂い続けているという。
「言うまでもなく、この空気は眞子さまと小室圭さんの婚約延期問題が運んできたものに他なりません。両殿下と眞子さまは、小室家の金銭トラブルの向き合い方に関して意見を異にしています。秋篠宮殿下は、眞子さまに身ぎれいなまま嫁いで欲しいと願われています。しかし殿下から小室家と元婚約者側との話し合いについて問うと『もう解決済ですと何回言えば良いですか?』と切り返されてしまうのです。
紀子さまは既に眞子さまの説得を諦められ、悠仁さまのご成長だけが心の拠り所といったご様子です。ご両親と眞子さま、佳子さまの対立、悠仁さまの母子密着など、懸念が山積しているのです」(秋篠宮家関係者)

眞子さまと美智子さまの距離
このような状況の中、かつて紀子さまと非常に親密な関係を築き、眞子さまを大変可愛がってきた美智子さまは、秋篠宮家と距離を置かれているそうだ。
「小室圭さん関連報道が過熱するとともに、美智子さまのご発言がリークされ週刊誌に載ったことがありました。この事がきっかけとなったようです」(皇室ジャーナリストの佐藤公子氏)
宮内庁は報道に過敏に反応して、2018年5月25日付で熱のこもった抗議文を発表している。
もちろんこれは、美智子さまのご意向が反映されたものであり、美智子さまの推敲が入ったものだった。美智子さまは、ご自身の発言が秋篠宮家にとっての雑念とならないように、十分に配慮なさっているのだ。
だが、元宮内庁職員の小内誠一氏は、宮家への配慮だけではなく、美智子さま自身のホンネとして「距離を置きたい」のだと指摘する。
「美智子さまの本心としては、小室圭問題について『もうどうしようもない』と嫌気がさしていらっしゃるのでしょう」(小内誠一氏)
美智子さま、眞子さまのためにファッションショーを
長引く小室問題に嫌気がさしているのは、どうやら国民だけではないようだ。しかし、ある仙洞仮御所の関係者は「美智子さまが眞子さまを“見捨てた”というわけではない」と断言する。
「美智子さまはいつも眞子さまのことを案じられています。眞子さまは幼い頃から笑顔がお可愛らしく、また孫の中で最も美智子さまの面影があるということで、将来は皇室に残り、宮家当主として皇室を支えてほしいと強く期待をかけられていたのです。小室家の問題についてお知りになるまで、『将来小室夫妻が住めるように高輪を今のうちに改修しちゃいましょう』とおっしゃり、高輪皇族邸の改築案を自らご提案されたほどでした。
美智子さまは、最近眞子さまとお会いできておりません。赤坂から秋篠宮家のご様子についてお聞きになる度にお心を痛められています。先日、タイのシリワンナワリー王女が、自身が手掛けるファッションブランドのために国家予算4,300万円を投じてショーを行ったことが報じられましたが、美智子さまはこの報道をご覧になりながら『眞子のために、こういった催しがあると良いかもしれませんね』とおっしゃいました。表立って眞子さまを庇えない代わりに、様々な方法で眞子さまを元気づけられていと考えられているのでしょう」(仙洞仮御所関係者)
一刻も早い旅立ちが待ち望まれます。
>眞子さまのことを案じられています。眞子さまは幼い頃から笑顔がお可愛らしく、また孫の中で最も美智子さまの面影があるということで、将来は皇室に残り、宮家当主として皇室を支えてほしいと強く期待をかけられていたのです。
小室家の問題についてお知りになるまで、『将来小室夫妻が住めるように高輪を今のうちに改修しちゃいましょう』とおっしゃり、高輪皇族邸の改築案を自らご提案されたほどでした。
公私混同も甚だしい❗️
美智子さんは、群馬県の某同和地区出身の新平民。正田家は当時 高額納税者番付100位にも入っていなかった。
明仁氏を落とすために、一家は上京、セレブしか入れないテニスクラブに大金を出して潜入、明仁氏にハニトラを掛けた。
明仁氏の素行は知れ渡っており、良家のご令嬢は「親王避け」のため 婚約したり留学したりで 女性は寄り付かなかったと聞く。
美智子さんの素行も大したもので、明仁氏と似たり寄ったり。
これ以上、もう書く気が失くなった❗️
皇族に嫁がせる家は、その支度はもちろん、毎年、宮中のすべての職員に付け届けをし、外遊で宮妃の費用は実家持ち、と大きな経済的負担を覚悟しなければならなかった。
それで、自分の娘に白羽の矢が立ちそうになると、「宮様よけ」のために、急いで他家との縁談をまとめ、財産を守ったのだ。
明治までは、側室制度もあったから、皇族に生まれる子供の数は多く、門跡として寺に入れたり、養子に出したりして、なんとなく皇族構成員が増えすぎないように調整していた。
いざ直系に跡継ぎが不在の場合に備えられた四親王家以外は、臣下に降らせもした。
もちろん平均寿命も短く、夭折も多かった。興味深いことに、皇太子以外の皇族より、五摂家当主のほうが、格上であり、藤原家の勢力がうかがえよう。
M内親王は、逆説的に、「皇族とはどうあるべきか」や「税金の使われ方」を我々が考える機会をくれたことになる。
このようなことを書いているうちに、私の気持ちは、「反対」から「賛成」に傾き始めた。
「崩壊」への「変化」の予感が楽しいのだ。
小○誠○様の文章ですね。難しい内容でも、理路整然として読み易いし、事実を淡々と記述されています。
学習院低所得社用官舎で、「娘が宮様と結婚するので、寄付をお願いします」と家々を回ったり、0円婚を自慢したりする家とは違っています。
美智子さんも、一応社長令嬢でしたが、婚約会見の時のドレスは化繊のペラペラ。
YouTubeにも残っています。
紀子さん❓️ 問題外です。
すべて 宮内庁に出させました。手袋代2000円も請求書を添えて、「立て替えましたから」と宮内庁に請求したほどです。
支度金として渡された金一封は、嫁入り支度には遣わず 弟舟氏の車(赤いフェアレディZ)や遊行費になったというのは有名な話で、今さら書かなくても 皆さん 御存知ですよね。