雅子さまを支えた、ある女性皇族との“心の絆”


文/宮本タケロウ

17年前の12月12日

12月12日は皇室にとって忘れられない日です。。

きっと覚えている人は少ないかもしれませんが、17年前の2003年に宮内庁が雅子さまの長期療養を公表した日が12月12日だったのです。

「10年あまり前の結婚以来、慣れない環境の中での大きなプレッシャーのもとで、これまで、私なりに一生懸命努力してきたつもりでございましたが、その間の心身の疲労が蓄積されていたことの結果であったのではないかと感じています」

これは、雅子さまが長期療養に入られるに際して東宮職を通じて出した文書です。これから令和まで雅子さまが16年間も長くの療養にいたると、この時、誰が想像できたでしょうか。

16年目の2019年、即位パレードで見せてくださった雅子さまの慈愛に満ちた“笑顔”に接して、筆者のよく知る皇室ファンは「この笑顔、この笑顔をずっと待っていたんだ!」と涙が出る思いがしたとのことです。

(この笑顔を南十年も国民は待っていたのだ)

2008年の雅子さま

さて、今回は雅子さまの長期療養が発表されてから5年後の2008年に時計の針を戻して、当時なされたある報道にスポットをみたいと思います。

雅子さまが療養に入られて5年目、愛子さま7歳のこの年は雅子さまの病名が「適応障害」ではなく、むしろ、「ディスミチア症候群」という新型のうつ病ではないかとささやかれていたころでした。

ディスミチア症候群とはどのようなものか。

「一般に、ディスミチア症候群の特徴は、義務を負わされると普段できることの能率が上がらなかったり、やる気が起こらないという抑うつ状態が現れる。しかし、自分自身が意欲のある娯楽的な活動になると、普段通りにできるわけです。この症状は今、30代以下の若年層に増えています」

この病気が難しいのは、抗うつ座がなかなか効かない点だという。

『週刊ポスト』2008年10月10日

義務が負わされると普段できることができなくなってしまう――。これは責任感が強く人一倍の努力家である雅子さまにしっかりとあてはまる症状です。

そして、その年の10月10日、『週刊ポスト』にある記事が掲載されました。それによれば、雅子さまはある女性皇族と関係を心の絆として日々を過ごされていたというのです。

雅子さまが心の絆とされた女性皇族とは、三笠宮家の寛仁親王妃・信子さまでした。

(お子様を抱える寛仁親王妃・信子さま)

信子さまと雅子さまの交流

『週刊ポスト』にはこうあります。

雅子妃が長期療養に入ってから心のよりどころとしている方がいる。それは、あの「ヒゲの殿下」、三笠宮寛仁親王殿下の妻であり、麻生太郎新首相の15歳年下の実妹である信子さまだという。(中略)

「外相経験のある麻生首相を兄に持つ信子さまと、外交一家の雅子さまには通じ合う部分があり、また、民間から皇室入りした先輩であり、雅子さまは信子さまを慕い、信子さまも折に触れて様々な形でアドバイスをされてきました」(宮内庁関係者)

同上

いわば「妃殿下」の先輩として雅子さまを支えた信子さまでしたが、実は信子さまの当時(2008年)は雅子さまと同様に健康上の問題を抱えていらっしゃったのです。信子さまは2004年に胃潰瘍と診断され、心療内科にかかり、その後、更年期障害となって2年間も軽井沢の麻生家(信子さまご実家)別荘にて静養を続けられました。

2006年には軽井沢から出て、宮邸での療養生活に切り替えましたが、公務への出席はナシ。寛仁親王との夫婦仲や二人の娘(彬子女王、瑤子女王)との関係もかんばしくなく、事実上の家庭内別居状態にあったと言われています。そしてその後は寛仁親王の没後まで宮邸を出られて宮内庁職員用住居に移り、完全別居としてご家族とは絶縁状態となるにいたったとはご存知の方も多いでしょう。

(若かりし頃の信子さま)

雅子さまは皇室の環境、信子さまは家庭の環境ーーと、原因は異なりますが、同じような境遇にあったお二人はいつしか心が通じ合い、励ましあう関係になったと、『週刊ポスト』は事情を知る宮内庁関係者の声を伝えています。

「同じような苦しみの中におられるからこそ、お互いの気持ちが分かり合える。携帯電話やメールなどでやり取りをし、代わる代わる近況を伝えては励ましあい、その親密さは深まっているようです、お二人は、まさにホットラインを持たれているような感じだと思います」(宮内庁関係者)

同上

きっと、当時の雅子さまにとっての信子さまはかけがえのない、大きな存在であっただろうし、同じように問題を抱える信子さまにとっても、雅子さまとの関係は励まし、励まされることで癒されるかけがえのないものだったことでしょう。

他者を癒し、生かす主体となる

傷ついた人が、その痛み故に、他者を癒し、生かす主体となる。これを心理学の用語で「ウンデッド・ヒーラー」、日本語で「傷ついた癒し手」と言います。

「傷ついた癒し手」とはオランダの神学者ヘンリ・ナウエンが考案した言葉で、心に傷を負った人がその傷のゆえに深い愛に目覚め、他者を癒していく道に献身していく、そうした人間の本能的な慈愛を語った言葉です。

まさに2008年当時の雅子さまと信子さまは、お互いに励ましあう「ウンデッド・ヒーラー」ではなかったでしょうか。

思い返せば、平成最後の年、2017年の12月、54歳の誕生日を迎えられた皇太子妃雅子さまが発表した文書には「弱者に寄り添う」という決意が込められていました。

いまだ多くの方が不自由な生活を余儀なくされていることや、復興までにはまだ長い道のりが残されていること、そして、その中で子供たちを含め、被災された方々の心のケアが引き続き大切な問題として残っていることなども案じております。(中略)

近年、社会情勢の変化もあり、社会的に弱い立場にある人々が直面している困難な状況について耳にすることが多く、案じております。(中略)そして、社会の中で、弱い立場にある人々への温かい理解と協力が広がり、だれもが互いに人格と個性を尊重しながら支え合い、将来に夢と希望を持って歩んでいけるような社会が実現されていくことを心から願っております。

広く世界に目を向けても、困難な状況に苦しんでいる人々が数多くいることに心が痛みます。人々が、広い心を持ってお互いの違いを乗り越え、様々な問題の解決に向け、共に手を携えて取り組んでいくことが、今の世の中で大切になっていると感じます。

宮内庁ホームページ

このお誕生日の感想が発表されて早3年が経ちました。当時、「これから先のことを考えますと、身の引きしまる思いが致します」と述べていた雅子さまでしたが、無事に即位の式典も終わり、皇后としての道を着々とお歩みになっています。

「弱者に寄り添う」とよく言われる言葉ですが、本当の意味で弱者に寄り添うことは、自分も真につらく、厳しい、弱々しい日々を送った人にしかできないのではないでしょうか。

その皇后としてのいつくしみ深く、畏き道を歩む雅子さまの背中をしっかりと優しく押してくださった信子さまは、2013年に療養生活を終えられ、公務に復帰。現在は女性皇族として皇后・雅子さまをお支えになるお役目を再開されています。

(雅子さま、信子さま、彬子さま)

お二人のますますのご活躍とご健勝を祈りたいと思います。

4件のコメント

雅子様気の毒に、まさか伏魔殿に入って、雅子様の為も、令和で終了がいい、後は、穏やかに、お暮らし下さい。政権交代して、会計検査が絶対必要です。

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2

会計監査は必要だと思います。
ですが、「日本の為に。」と覚悟され入内された皇后陛下です。
令和で終了を望んでらっしゃるとは思えません。
皇室浄化の為、秋一家皇籍離脱。
これしかないと思います。

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国民はおろか外国の王室に全く相手にされない宮家が、どうしてここまで庇護されるのか全く理解不能です。
今上天皇陛下ご一家こそが真の天皇家に相応しい。
その天皇陛下をお支えするどころか、お心を煩わせるようなら皇籍剥奪もやむを得ないと思います。

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御列の儀の日の虹 忘れられません 涙を拭われるお姿 暖かさMaxでした
信子妃に加え 久子妃も強い御味方と拝察します 頭脳と見識 著しいお三方 雅子妃を筆頭に 天照大御神なり 現皇室を御守りください。

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