雅子さま、香淳皇后の“遺志”を継ぐ!「美智子さま」からの脱却へ


文/佐藤公子

香淳皇后の例祭日

毎年6月16日は、昭和天皇の后・香淳皇后の命日として式典が厳かに執り行われる。昨年と今年は新型コロナウイルスの影響もあり、式典の規模を縮小しての挙行となった。

「昨年は没後20年の“式年祭”ということでコロナ禍で規模縮小となりながらも両陛下が参列され、武蔵野東陵で拝礼は眞子さまと佳子さまが担当されました。ですが今年はさらに規模を縮小し、武蔵野東陵で拝礼は眞子さまだけとなりました。

また皇居・御所の改修工事が7月まで続いておりましたが、これにあわせ香淳皇后が生前住まわれていた吹上大宮御所(旧御所)にも大掃除が入りました。香淳皇后が使われていた遺品が数多く残されており、雅子さまも懐かしそうにその品々を手に取られて、そのうちのいくつかは皇居・御所に運ばれたと聞いております。

激動の時代を生き抜いた香淳皇后の想いを、雅子さまはシッカリと引き継がれたことでしょう」(皇室ジャーナリスト)

香淳皇后の遍歴

香淳皇后は昭和天皇のお后で上皇陛下のご母堂、今上陛下の祖母に当たる。1903年(明治36年)3月6日にお生まれになり、2000年(平成12年)6月16日に崩御された。

昭和天皇が神話時代を除く歴代天皇の中で最長在位・最長寿であったのと同じく、香淳皇后も最長在位(62年14日間)で最長寿(満97歳没)、明治、昭和、平成と激動の中を誰よりも深く見つめてきた日本女性である。

「香淳皇后は明治36年、東京府麻布区鳥居坂(現・東京都港区六本木)の久邇宮邸で誕生されました。久邇宮家の初代・朝彦親王(あさひこしんのう)は伏見宮邦家親王の四男で、明治8年より久邇宮の称号を得て宮家が設立され、香淳皇后は二代目当主・久邇宮邦彦王(くによしおう)の長女としてお生まれになりました。

学習院女学部幼稚園、小学科、中学科と学ばれますも、大正7年1月17日、14歳の時に皇太子妃に内定し、20歳で昭和天皇のもとに嫁がれました。戦後、美智子さま、雅子さまと民間からの入内が続き、時代の流れから見ますと、“宮家から皇室に入る最後の皇太子妃”となるでしょう」(皇室ジャーナリスト)

美智子さまの教育に腐心された香淳皇后

さて、宮家出身であり「皇族の婚嫁は同族又は勅旨に由り特に認許せられたる華族に限る」とある旧皇室典範下でお育ちになった香淳皇后にとって、美智子さまの入内は想像を超える戸惑いを抱える事態であったという。特に、その主張の激しさには苦労も多かったようだ。

「長らく、香淳皇后は美智子さまとの折り合いに苦労されたようです。民間出身者である美智子さまを“見下していた”といった表現がされがちですが、事実は真逆だったとか。旧態依然とした価値観を持つ周囲の反発からお守りし、時には厳しく諌め、立派な皇后としてお育てになろうと腐心されていた面が大きかったようです」(小内誠一氏)

しかし一方では、御婚儀のとき美智子さんが使うはずの着替え室を、「今度、美智子も使うから…」 と、ご自身でかいがいしく片付けられたりもした。そして婚約の挨拶に訪れた美智子さんに帯や反物を贈られ、新年の挨拶のおりには別室にお呼びになり、伝来の指輪を贈 ったりもされている。

河原敏明『良子皇太后――美智子皇后のお姑さまが歩んだ道』文藝春秋、1993

香淳皇后のお心の内とは反して、次第に国民の中に香淳皇后による美智子さまいじめ、という構図ができあがっていった。平成の時代、美智子さまはシンデレラのように“苦難に耐え忍ぶ悲哀の皇后”としてのイメージを確立した。

「いわゆる“美智子さま失声症”事件の折、ある宮内庁幹部が『いまや皇室は女帝だよ』と記者に激白したというエピソードが残っています。香淳皇后も、自己主張をためらわない美智子さまを諌めようと奮闘された面があったのかもしれません。

雅子さまは美智子さまのように、宮内庁を通じて報道機関に抗議なさるということもなさらず、慎み深く長年の苦難を耐えてこられました。その点で、香淳皇后と雅子さまのお人柄は通じる部分があるように感じます。長らく雅子さまは香淳皇后の例祭に参列されていませんが、これにも美智子さまからの何らかのプレッシャーがあったように思えてなりません」(小内氏)

即位から2年目となり、順調に宮中祭祀やご公務に復帰されてきた雅子さま。今回の例祭への復帰が叶えば、“女帝”からの脱却という大きな節目になるだろう。

14件のコメント

>香淳皇后と雅子さまのお人柄は通じる部分があるように感じます。長らく雅子さまは香淳皇后の例祭に参列されていませんが、これにも美智子さまからの何らかのプレッシャーがあったように思えてなりません

まさにそうだと思います!園遊会のような国民的な行事があると、美智子は雅子様をすぐに途中から退散させていましたね。「もうあなたはいいわよ」と言って。国民から愛されている雅子様を見るのが嫉妬深い美智子には耐えられなかったのでしょう!!
だから週刊誌にしょっちゅう「雅子様ドタキャン」や「雅子様途中で公務を放り投げ」などの完全なデマを流させたのです!!自分から「もう帰ってよい」と命令しておいて・・・・

どこまで汚い婆さんなのか!!

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 大皿さんの皇室入りは、昭和天皇は認めたのですよね? 皇室の存続のため庶民を娶るという政治的な背景があったのでしょうか? 皇族、華族、香淳皇后をお手本とせず、時代が違うとばかりに政財界とつるみ、蓄財や芸能人まがいの振る舞いを始めたのでしょうか? 馬鹿な国民は、つい近年まで欺かれていましたが、調子にのり過ぎた秋篠宮一家のおかげで、真実を知ることができました。
 大皿さんは、国民から馬鹿にされる時が来ると想像もできなかったのですか?  一世代を風靡した人にも終りが来ます。 あなたが育てた秋篠宮一家と共に皇室から消えて下さい。

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上皇は旧皇族、旧華族嫌いで有名でその辺りとは当時から疎遠だったせいもあって美智子がのさばったってのが正しいかもね。
だからサーヤはその辺りに嫁下出来なかったんだよーん。
で、それをまんま踏襲してんのが秋一家。
良いご関係結べてたら、その辺りからマコカコの縁談用意してもらえたのにねw

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上皇が旧皇族や旧華族嫌いではなくて、上皇后が身分の高い人を苦手としていたのでしょう。
上皇は小さい頃から身分の高い御学友とも親しくされていたのですから。
美智子さまは結婚するまで、そのような高貴な人とのお付き合いはあまり無かったと思います。蔑まれるという被害妄想があったのでは?

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『昭和天皇と鰻茶漬け』谷部金次郎より

・卓球のお相手

両陛下、とくに皇后さまは東久邇家のお孫さまたちのことを、大変お心にかけていらっしゃいました。東久邇家のお孫さまというのは、ご長女の照宮成子さまのお子さまたちで、…お母さまを早く亡くした五人のお孫さまたちのことがとても気がかりだったのでしょう。夏休みになると、那須の御用邸に招かれて、ご一緒に過ごされていました。
末の優子さまは、まだ小学生でした。そのとき那須にいたもののなかで、たまたま私が一番年下で、…
かっこうの遊ひ友達と思われたようです。
あるときは、ホールで卓球をしました。すると、なんと私の真うしろに皇后さまがにこにこしながら、お立ちになっていらっしゃるではありませんか。…皇后さまは、
「どうぞ手を抜かないでやってね」
とおっしゃったのです。さらに続けて、わがままな孫ですから、負けたらがまんできなくて、勝つまでずっとやり続けるでしょう。でも勝負ですから手加減しないでください、という意味のことをおっしゃいました。
あのときの慈母のような皇后さまのお声は、今でも私の耳に残っています。…そんなときの皇后さまは、本当にただひとりの「おばあちゃま」になられて、お孫さまのお世話をされていました。
天皇陛下も相好を崩された好々爺そのものという感じでした。

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昭和天皇も香淳皇后も子煩悩かつ孫達も大切にする温かな人達だったというのは、写真に残る眼差しからハッキリ感じられます。

気の毒な明仁皇太子に温かなホームを作ってあげたいだなんて雑誌に書かせて、本当に酷い嫁です。 イギリス王室と同じく、全く抗議をされない皇族の方々を見越して、虐められた伝説を作り上げた美智子様。

私も60年間、騙されてきたクチです。マスコミって皇室に関しては情報操作が酷いでしたね。

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香淳皇后と雅子皇后は「慈愛」という点で似ておいでになるのでしょう。

ミテコは自愛。

違いは自ずと「面」に表れます。

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光淳皇后の遺志と言うと、マサコさまには息子はいないから婿いびりということになる
このままでは愛子ちゃんは行かず後家になってしまうンだわ

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あなた美智子さん?それとも紀子さん?
意外とカヨさんだったりして。

香淳皇后の字も間違ってますよ。

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さすが粉屋の娘、若かれし頃から情報操作に長けていたのですね。上皇さんの旧皇族、旧華族嫌いに便乗して、色々でっち上げていたのかと思うと腹立ちます。
他人を悪者扱いにして同情買っても、結局ばれてしまえばクソババアでしかない。

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今上陛下が婚約された時に、香淳皇后のお住まいだった吹上大宮御所に雅子皇后陛下を連れてご挨拶に行かれていましたね。秋篠宮が行ったという記事は見ませんでしたが、行ったのかな?
赤坂の東宮御所は、仙洞御所にするみたいですから、秋篠宮が廃皇嗣になって、敬宮愛子様が皇太子になられたら、吹上大宮御所だったところを東宮御所にされたりしないかな。
秋篠宮家に皇位がうつるのなら、令和で終わりになりそうですね。

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激動の時代を生き抜いた昭和天皇は立派な方でした。
香淳皇后も昭和天皇を支え、国民に寄り添われていらっしゃいました。
平成時代に入ってやたらとお皿さんが出しゃばるようになってしまいました。
華やかなお召し物を身に纏い、観光・外遊三昧になってしまいました。
昭和天皇や香淳皇后は普段の生活は質素で庶民的だった聞いています。
お嬢様生活を送ってきたお皿さんが皇室を豪遊・贅沢をする場所へと変えてしまいました。
お皿さんを尊敬する次男の嫁もそれに倣いお皿さんと同じような振る舞いをしています。

皇后さまがお皿さんよりも香淳皇后を慕う気持ちは十分に理解できます。

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美智子様御用達週刊誌の編集長が美智子様の記事は母親が週刊誌に持ってきたものと暴露していましたね。
実家と疎遠を装いながら、独身時代からの直電をそのままにして、連日、週刊誌ネタで自作自演の連絡。
その自作自演の創作イジメを実行したのが雅子皇后イジメ。例のお茶会につながって行きます。

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