美智子さま「実家に甘えていた」衝撃の東宮妃時代 自立されていた雅子さま


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菊のカーテン

本サイトの名前にに持っているように「菊のカーテンに閉ざされた皇室」とはよく言われますが、”菊のカーテン”は基本的には、皇室を守るために閉ざされているわけですが、むしろ閉ざされているがゆえに、皇室に対する様々なうわさや根拠のないデマが飛び交うことも多々あります。

中でも平成期においては、今上両陛下に対する根拠のない、事実に基づかない誹謗も多々行われていました。

今回は、両陛下の東宮時代の”根拠のない噂”や”デマ”を改めて検証し、事実に基づいた形で論駁していきたいと思います。

(理想の夫婦と絶賛された上皇ご夫妻。美しき美智子さまは日本の誇りである)

 

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「皇后も常に一緒」は伝統ではない

デマ1:天皇陛下は雅子さまが療養中のため単独公務が多く、これでは国民の象徴となれない

平成期は両陛下がご一緒の公務がほとんどだったため、雅子妃が療養中で、単独公務が多かった皇太子(当時)殿下に対して頻繁に言われたことですが、これは事実に基づきません。

というのも、”両陛下ご一緒の公務”は平成に入って増えた現象だからです。奥野修司『天皇家の憂鬱』(2019年)にはこうあります。

元東宮侍従で国際文化教育協会理事長の竹元正美は述べている。

「昭和天皇は、海外ご訪問を除けば、お一人で行動されることが多かったと思いますが、今上天皇(注、現・上皇)は皇后さまとお二人で動かれました。だから国民は、天皇皇后は常にお二人で動かれるものと思っています。今の皇太子と雅子妃殿下に関しても、妃殿下があまり同行されないことで批判する方もいますが、もともと今上天皇以前の天皇はお一人で行動することが多く、お二人で行動されることになったのは今の両陛下からなのです」

奥野修司『天皇家の憂鬱』新潮新書、2019年、33頁

こうして考えると、両陛下ご一緒で公務をされるかどうかは、それぞれの天皇のスタイル/流儀であって、従わなければいけない慣行でもなんでもないということが分かります。

(2008年お一人でブラジルを訪問された天皇陛下。その誠実さは世界でも有名だ)

雅子さまよりも美智子さまの方が実家に甘えていた?

デマ2:雅子さまが、皇室に嫁いだのに、実家の小和田家によく帰るのは「甘え」である

雅子さまが療養中に軽井沢の小和田家の別荘で過ごしたことや、オランダ静養中に両親と夕食をご一緒されたりしたことなどが批判の対象となりましたが、皇室に嫁いだ皇太子妃が実家と交流するのは、美智子さまもずっとしていることであり、雅子さまが批判されるいわれは一切ありません。

(2003年、小和田家に里帰りをされた雅子さま。愛子さまを抱かれ満面の笑顔が美しい)

 

 

前述の『天皇家の憂鬱』にはこのような驚くべき記述があります。

美智子妃と富美子(正田富美子、美智子さまのお母さま)は思うように電話もできなかったといわれたが、婚約発表の直後、正田家に引かれた東宮仮御所との直通電話が、御成婚後は富美子の部屋に移され、その後も使われていた。

「お部屋にお茶を運んでいくと、お母さまがよく電話されていました。美智子さまとお話しされているときはすぐわかるんです。にこにこされていますから」(正田家のお手伝い)

同上、232頁

「直通電話」という言葉が昭和30年代感を醸し出しますが、東宮御所と東宮妃の実家に直通電話があったとは驚きです。仮に、小和田家と東宮御所の直通電話があったら、猛バッシングされていたことでしょう。

また、嫁いだ美智子さまのために、母親の富美子さんがなんと手作りのコーンスープを持参されることもしばしばあったらしいです。

電話だけですまないときは、その足で東宮仮御所に向かった。(中略)

「仮御所には正田家の車で行っていました。あの頃はBMWだったかな。その前はオペルでした。仮御所へはお一人で行かれることが多いのですが、ときどき英三郎さんと一緒のときもありました」(正田家執事)

仮御所へはよく手作りのスープを持参したという。時間がないと、「銀座の資生堂パーラーに電話して、魔法瓶に入れてもらうんです。美智子さまの好きなコーンスープでした」(お手伝い)
(略)とくに頻繁に訪れるようになるのは、浩宮を出産した頃だったという。

同上

母親が子を産んだばかりの娘のために料理を作って持っていく」という非常に庶民的なことが皇室で行われていたことは、私はほのぼのとしたエピソードだと思いますし、皇族の妃と言えども、人間ですので、「皇室に嫁いだのに実家の母親を頼ること」をいけないことだとは全く思いません。

ただ、雅子さまに対して「実家を頼る雅子さまは甘えだ」と言うのであれば、同時に「美智子さまも実家を頼っていたので甘えだ」と言わなければ筋が通らないとは思います。

小和田恒氏は天皇家の外戚となって、非常に権力欲が強い

デマ3:小和田恒氏は外戚となって権力にまみれている

このデマは主に保守論壇で言われていることであり、「小和田氏は講演会に招待されては高額の謝礼金をもらっている」等として、批判対象となっています。

が、しかし、そもそも小和田恒氏は娘が皇室に嫁がなくとも、非常に優秀な外交官であるという前提を見なければいけません。外務省の事務次官のポストを終えたら、通常は駐米大使になるのが外務省の通常のキャリアコースですが、むしろ小和田氏は娘が皇太子妃となったがために、駐米大使を拒否して当たり障りのない国連大使に就任したというのも事実です。

その後には国際司法裁判所の判事、そして所長となりましたが、国際機関のトップには自ずから権力が備わるものであって、”権力欲”という軽薄な言葉で語られる類のものではありません。

また、天皇家の外戚となったら社交界からお呼びがかかるのは昭和から続いていることのようで、美智子さまのご実家・正田家も娘が皇太子妃となった後に、様々なパーティーに招待されることが増えたと言われています。

のちに娘の美智子が皇太子妃となると、大使や公使のパーティに招待されることが多くなった。すると、五十歳を過ぎた富美子は、あらたにフランス語の勉強も始めたという。

同上、219頁

陛下のライフワーク「水問題」はきな臭いのか

デマ4:上皇や秋篠宮が”生物学”という当たり障りのないことを研究したのに、天皇陛下は”水利権”というきな臭いテーマに関心を持っている

インターネット上では、「中国が小和田恒氏を通じて、皇太子(当時)に水利権に参入させ、日本の水源地を奪おうとしている…」などというトンデモ話が囁かれることがありますが、根拠不明であるばかりか、論理が通っておらず、意味不明です。

天皇陛下が水問題に関心を持ったきっかけや、水問題への取り組みの様子は以下の通りです。

天皇陛下は「水に関わる問題」をライフワークにされている。大学や留学先で「水運」を学んだが、1987年、27歳の時にネパールで水くみに膨大な時間を費やす人々を見て衝撃を受けた。2003年に日本で開かれた「世界水フォーラム」で名誉総裁を務め、水の問題が多岐にわたることに驚かされたという。衛生的な水に恵まれているのは世界でごく少数。水質汚染や貧困、水害だけではなく、水くみが女性や子どもから教育などの時間を奪うという問題もある。陛下は関心の分野を広め、3年に1度の国際会議で講演を続けた。

研究をともにする専門家は「劣悪な水環境の中にいる人々は『弱者の中の弱者』。陛下は水を通じて弱い者に寄り添う視点を常に持っている」としている。

共同通信社会部『皇室ファイル』共同通信社、2019年、124頁
(2018年ブラジルで行われた世界水フォーラムで講演される天皇陛下)

 

世界が一丸となって考えて行かなければならない水問題への深い造詣がうかがえますし、日本だけでなく、広く世界を見渡した天皇陛下の視野の広さが分かるかと思います。

ところで、上皇陛下や秋篠宮殿下が研究された”生物学”は、政治問題である”水問題”よりも確かに、当たり障りのないテーマのようにも見えますが、実際はそうとは言い切れません。

上皇陛下自身も非常に苦い思い出をお持ちのようです。

それは”外来種による生態系の破壊”の問題です。

ハゼの分類を研究する生物学者でもある上皇さまが皇太子時代の1960年、米国から持ち帰った数匹を水産庁の研究所に寄贈されたのが、日本で繁殖するきっかけとなった。ブルーギルは北米原産で雑食性の淡水魚。生態系や人体・生命、農林水産業に被害を及ぼすか、及ぼす恐れがある「特定外来生物」に指定されている。滋賀県・琵琶湖には60年代後半に侵入し、90年代に爆発的に増加。天皇在位中の上皇さまは2007年7月、大津市で開催の「全国豊かな海づくり大会」に出席した際「食用魚として期待が大きく養殖が開始されましたが、今このような結果になったことに心を痛めています」と述べた。琵琶湖では現在、ブルーギルをはじめとする外来魚が減少しているという。

同上、123頁

なんと、ブルーギルが日本で繁殖してしまったのは、上皇陛下が持ち帰ったのがきっかけだった…!ということですね。

もちろん、上皇陛下が関わらなくとも遅かれ早かれブルーギルは日本で繁殖したでしょうが、”生物学”が”水問題”に比べて、当たり障りのない学問ではないとは言えるかと思います。

以上、皇室にまつわるデマを実証主義的に論駁してきました。

菊のカーテンは閉ざされることに意義がありますが、そのせいでよからぬ噂も招いてしまいます。

皇室を敬愛する国民は、正しく情報を取捨選択できるように、リテラシーを身に着けることが何よりも大切なことと思います。

7件のコメント

昔、明仁さんが皇居のお堀にブルーギルを放ち、昭和天皇が激怒したというのを
聞いた事があるのですが、水産庁に寄付したとどちらが正しいのでしょうか?

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ミテコさまへの実家からの差し入れはコーンスープではなく
キュウリのキューちゃんだったンだっぱ

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夫婦であちこち出歩いてお手振りしていた平成は、服を新調しては出かけたがった美智子の意向によるものでしよう。

徳仁様雅子様はお二人でご進講をお受けになっていらつしやるそうですね。(以前は天皇一人で受けていたそうてす。)

夫婦で共に学び共に語り合える最高のパートナーシップ、愛子さまと分かち合うことも多かったのではないでしようか。見習いたいものです。

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